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事業者のご紹介

事業者紹介"有限会社今井農場"

所在地:
〒092-0205 北海道網走郡津別町字岩富74番地
TEL:
0152-76-3825

稲作の北限地北海道。厳寒の津別町に唯一残る米農家、今井農場

今井農場が生産する「あっぱれ米」は口コミで広まり、地元北海道はもちろん、南は沖縄まで、全国の方に愛されるブランド米です。近年は地域おこし協力隊を受け入れるなど次世代の育成にも取り組んでいます。

左・地域おこし協力隊の安倍勇人さん 右・今井さん

畑作に向かない湿気地を田んぼに活かして
戦後、小豆が「赤いダイヤ」ともてはやされた北海道の豆景気も去り、豆を主軸にしていた地域は連作障害に悩まされていました。そんな状況を打開しようと酪農にチャレンジし、酪農と畑作2本の柱で農場の経営を始めたのが先代、今井さんのお父さんです。そこへ湿気地で畑作に向かず耕作者も転々としていた土地を買って欲しいと頼まれた先代。引き受けて耕したもののやはり作物の生育が良くない土地をまた同じように誰かに売り渡すのではなく「いっそのこと田んぼにしよう」と水利権を取り、工事を行い、田んぼに変えました。手応えを感じ、減反政策などの世の中の流れに逆らいながら少しずつ事業を稲作へシフトし、昭和46年(1971年)に全面積を田んぼにしました。当時は機械化もなく、12町(およそ12ヘクタール・東京ドームの2.5倍)の田んぼを出面さん(パート農作業員)に手伝ってもらいながら1ヶ月以上かけて手植えをしたりという苦労の中、3、4年に1回は冷害などに見舞われながらも稲作を続けました。減反政策などの時代の流れから、町内の稲作農家が少なくなる中で今井農場は町民の需要を満たす存在になっていきました。

町内の餅米需要に応えた小売の経験から、米の流通規制の緩和を受けて全て自社販売へ。“あっぱれ米”ブランドの始まり
食料管理法により政府が米を買い上げていた時代から、今井農場は地域の人の需要に応えて正月の餅米を手売りしていました。規制の緩和を受け、これまでの直売の経験を活かして、うるち米を含め全て自社販売へと切り替えました。その際に米のブランド名と袋の絵デザインを募集し、「あっぱれ米」が生まれました。広告や宣伝をせず、口コミだけで広まっていったあっぱれ米。当初は「あっぱれ」なんて名前はおこがましいのではと考えていた今井さん、「今はとても馴染んで広まってくれて、この名前でよかった」と語っています。

環境に配慮した米づくりへの挑戦から見いだしたあっぱれ米の立ち位置
生産から流通まで全て自社で行なっている今井農場では生産と販売のバランスが大切です。栽培しながらお米を配達し、販売できる量を見極め栽培の計画を立てています。過去には無農薬、無肥料栽培に挑戦した今井さん。当時悩まされたのは無農薬無肥料栽培の難しさはもちろん、価格の設定でした。無農薬無肥料栽培に舵をきると収量は落ち手間はかかるのでどうしても高い価格設定になり、ごく一部の人にしかお米を届けることができません。それよりも、一般の人に手が届く価格帯であっぱれ米を愛してくれている地元の人、地域の人、より広く一般の家庭に届けたいという思いで無農薬無肥料栽培を手放しました。しかし、無農薬無肥料栽培に取り組んだ経験から必要な収量を確保する最低限の量を実感することができ、価格を維持しながら極力農薬や肥料に頼らない栽培を行なっています。また刈り取った後の稲藁の田んぼへのすき込み作業を全量秋に行い、植物発酵により発生する温室効果ガス、メタンの放出を抑えるなど、環境に配慮した米づくりを心がけています。

地域おこし協力隊を受け入れ、北限の米づくりを次世代へつなぐ
今井さんは自分の代で農場を閉めようと思っていましたが、町で唯一残る米農家を存続させて欲しいという周囲の働きかけがあり、地域おこし協力隊の安倍勇人さんが研修生として派遣されました。安倍さんは進学から就職まで一貫して農業系を志望していましたが、一から農家を始めるハードルの高さに諦めかけていたところでもありました。ご縁があり農家に直接このような形で直接研修に来れたことはとても幸運だったと語っています。今井さんの農場で働きながら自分の至らなさを感じることもあるそうですが、農家の夢を諦めたくないと意思を強くされたそうです。

寄付者の皆様へ
昔は北限の北海道のこのあたりのお米は猫もまたいで歩くなんて言われたりしていましたが、品種改良が行われたり、冷害も減りお米にとって気候が良くなってきたこともあり、収量だけでなく味もとても良くなってきています。美味しく出来上がっていると思うので是非全国の方に食べていただきたいです。

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